胃癌 腹膜播種性転移に対する温熱療法の経験

十束英志

「癌細胞は正常細胞に比べて高温に弱い」との仮説に基づき、胃癌大国である日本の全国各地の大学で導入されたのが「持続温熱腹膜灌流法(Continuous hyperthermic peritoneal perfusion; CHPP)」でありました。1980-90年代に金沢大学、千葉大学、長崎大学、福井大学、弘前大学、鳥取医科大学、その他、その後は静岡県立がんセンターで盛んに行われたこの治療法は、胃癌の腹膜播種症例における生存期間の有意な延長が示されております。

CHPP術後成績

しかしながら、高度進行胃癌症例の減少、入院期間の延長と莫大な医療費、患者への高すぎる侵襲、そして化学療法の進歩により、CHPP自体は近年では全く廃れてしまい、温熱療法としてもクリニックレベルでの電磁波を用いた代替え療法のような扱いでやられております。CHPP症例を見た経験と、自らも行った温熱療法の自験例をご報告します。

15年目に再会した27歳女性 CHPP症例

CHPPの回路

昭和から平成に移行する時期、私が医者になってすぐの頃の出来事です。27歳女性のスキルス(IV型)胃癌の癌性腹膜炎疑い、木館摂子さん(仮名)が術前カンファレンスで紹介され、胃全摘、膵脾合併切除術後に集中治療室(ICU)へ入室、CHPPの予定とのことでした。絶対に助かることはない、予後が極めて不良の胃癌の腹膜播種(癌細胞が腹腔内に拡がった状態)に対して果敢に外科治療を行う姿勢に胸躍る気持ちになりました。
CHPPの手順は至って簡単です。肝肺などの遠隔転移があれば適応外で、そうでない場合に原発巣である胃と転移が疑われる所属リンパ節をしっかり切除します。ターゲットを腹膜播種巣だけとしたところで、術中に腹腔内に留置した管(ドレーン)から52-4℃に温めた生理食塩水(生食)を注入、別に入れたドレーンから回収して、温生食で腹腔内を灌流します。その生食中に、CDDP(シスプラチン、cis-Diamminedichloro-Platinum)やMMC(マイトマイシンC、Mitomycin C)などの腫瘍に直接の作用効果が期待できる抗癌剤を混注します。

私は上部グループではない肝胆膵グループにいたので主治医ではありませんが、言わば興味本位で、手術が無事終わってICUに入室した木館さんを見に行きました。ちなみに胃癌の腹膜播種は肉眼的には認められなかったものの、腹腔内洗浄細胞診で癌細胞が検出されたcy(+)の状態であったとのことでした。自分と同年代の彼女はICUのベッドで横たわり極めて苦しそうでありました。ICU入室と同時にCHPPは始まっており、食道に留置した体温計は43℃を計測しており、52-4℃の生食での腹腔内灌流は「全身温熱」の様相を呈しておりました。これが何日も続くとのことでした。

木館さんを見るのはそれっきりで、少しして「木館さんがそろそろ危ないようだ!」との噂が聞こえてきて、さらにしばらくしたところで彼女の退院を知りました。どうやら、大きな峠を越した後に過酷な治療に耐え抜いたようで、医局の中にやんわりと安堵感が広がりました。教室員みんなが密かに心に留めていたことが感じられました。

がしかし、所詮は癌細胞が腹腔内に散布された状態、cy(+) stage IV、でしたので腹腔内再発は必至であり、5年生存率はほぼ0%と考えられました。しばらくは外来に通院して来ていることが分かりましたが、徐々に当時の上部グループの面々は大学を去り、10年が経過した頃には木館さんの名前を知る者はいなくなりました。

約15年が経過した平成1X年、大学の医局を去る直前の9月、外科の外来に勤務していてある1人の女性が受診されました。「木館摂子」の名前を見て、胸の高鳴りを抑えつつ、一言二言、薬の希望と処方をするやりとりだけでしたが、ずっと気にかけていて消息が不明であった彼女と大学を出る直前に再会した、なにか運命的なものを感じました。同時に、CHPPの優れた治療効果を15年目にして初めて実感した瞬間でありました。

腹腔内温熱療法が奏功した胃癌 腹膜播種症例

高度進行胃癌症例

関東圏に移り住んで何年かしたところで、37歳男性 高度進行胃癌症例に出会いました。この症例もスキルス(IV型)胃癌で、遠隔転移は無いものの画像上、少量の腹水が認められ腹膜播種が疑われました。無職の遊び人風で大きな身体の松浦広信さん(仮名)は手術前の説明で「なんとかお願いします」と祈るような目をしていました。

37歳男性の開腹時所見

なんとしてもしっかり切除して術後には化学療法を強力に行うつもりで手術に臨みました。ところが、開腹時、腹水貯留が認められ、癌腫は胃壁の外側に顔を出しており、胃から垂れ下がった大網と横行結腸に小結節が散見されました。明らかに腹膜播種のエンドステージ(最も進行した状態)でありました。肝転移はなく、またダグラス窩には播種病変は触知されませんでした。

このまま試験開腹としてお腹を閉じることも考えましたが、全然、食事が摂れませんし、このままではジリ貧となることは必至でありました。なにより松浦さんの目が印象的で、とにかく切除だけはしよう、と判断して、胃全摘術と横行結腸の播種病変を全て切除しました。食道と空腸をロウ吻合で繋ぎ、空腸同士を端側で繋ぐ形で再建し(ρ Roux-en Y、EEA)、手術終了と言う段になって、ふと温熱療法を思いつきました。

肉眼的にはあらゆる癌細胞は取り除きましたが、目に見えない細かい細胞が浮遊していることは明らかで、これに対して温かい生理食塩水(温生食)で腹腔内を満たして熱を加えようと言う試みです。もちろん他所でやっているとの報告などなく、自分でも見たことがない治療法です。でも、幸い患者は30代と若く栄養状態良好で、手術における出血はごく僅かであり、吻合の出来栄えも良かったので、術中に少々の熱を加えたくらいでは合併症には繋がらないだろうと考えました。

45℃の温生食で腹腔内42℃以上を1時間

前例がないものに対して、なんとなく設定を置きました。温度計を消毒して腹腔内に留置、開腹したままの状態で、次々45℃温生食を注入しては回収(吸引)するかたちで腹腔内の温度を42℃以上とする作業を約1時間ほど行いました。食道計で体温は最高41℃までの上昇が確認されました。

術後経過は良好で、手術から3週間ほどで患者、松浦さんは退院して行きました。本人を安心させて次の段階、化学療法への意思を伝えるため、彼には「とにかく見えるものは全て切除し、散布された悪性細胞には温熱で対処しました」とありのままをお伝えし、まずは1年、次いで3年、さらには5年(の生存)を目指しましょう、と申し上げました。そのためには化学療法が必要であることも付け加えました。

順調に退院したのは良かったのですが、なかなか松浦さんは外来に来ませんでした。来院予定の日に来ないで1週間後にすまなそうに顔を出して、なんとなくもじもじとされている雰囲気がありました。3回目くらいの来院時に「さあ、そろそろ化学療法を始めますよ」と申し上げると「もう少し待ってください」との返事、、、。ついには本人の代わりにある若い女性が来院して、彼は結婚していなかったはずですが一緒に住んでいるとのこと、その女性は「うちはお金がないんです、すいません」と仰いました。経済的理由で治療を拒否されると手も足も出ません。「とにかく本人を受診させてください」とだけ申し上げましたが、ついに彼は病院へ来ることはなく、何回かは自宅と携帯へ電話したのですが繋がりませんでした。進行胃癌の腹膜播種ですから術後1年が良いところ、化学療法をやっても3年生きられるかどうかと思われました。

温熱療法患者の生息が確認されたパチンコ店

それから3年半の月日が経って、すっかり術中温熱療法を行った松浦さんのことは忘れており、また同治療を他の患者にやる機会もありませんでした。ある天気の良い春の日曜日、松浦さんを見かけました。それはあるパチンコ店でのこと、こちらがソファーに座って放心状態でいるところ目の前を大柄な男が(パチンコ玉を入れる)ドル箱を抱えて意気揚々と通り過ぎて行きました。次いで見覚えのある女性、内縁の妻(?)が後を追って行きました。「あの男、生きてたんだ!」、私は思わず声をあげました。Stage IV 胃癌の術後3年半で、いかにも栄養状態は良く、しかもずいぶんと出玉を稼いで、腹腔内42℃で1時間の術中温熱療法が奏功したことは言うまでもありませんでした。奇跡は起こった!、がしかし、その奇跡を我々は引き寄せたと実感した瞬間でありました。

おわりに

マイクロ波を用いた温熱療法

月日はさらに経ち、健身会に奉ずる身となって、全くの偶然ですが、同法人では温熱療法を導入しております(図6)。周東 寛 理事長は体温を上げることによる免疫力増強効果に加えて高温による癌細胞の自己死(アポトーシス apoptosis)を指摘されております。ご興味がある方は是非ともご相談ください。抗癌剤を併用した化学温熱療法も行っております。

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